受講生の感想 その2
弁護士おこのぎです。
高崎市市民後見人養成講座を受講されている皆様の感想vor2を掲載しました。
1.第5回を迎える際,市民後見人制度は法律や、介護に詳しくない人では難しいのではと気持ちが少しマイナス志向になりかけていました。ですが、今日の星野先生と板橋先生の講義を聴いて俄然やる気が出てきました!市民後見人に求められる能力として「現場」で起きている「問題」に,「気づき」、それを問題として「認識」し、適切に「対処」できるかどうかが1番大切な事なのではと,改めて感じました。そしてその「対処」の中に,「市」や「あかり」のプロフェッショナルに相談、引継ぎ等があるのだとようやく理解できました。企業内における問題発見も全く同じで「問題」を「問題」として感じる事が出来るか?という「気づき」の有無から始まり,「問題」かどうかはそこに「あるべき姿」があるはずで,それとずれが生じていればそれは「問題」です。
2.市民後見概論で先生が繰り返しおっしゃる柔軟な対応が大事という姿勢。自分自身は異なる考え方に対しても間口が広いつもりではいますが、やはりそこには自分の基準がありこの仕事の難しさを思います。相手の言動をつい訂正してしまう事はこれまでの自分が身内に対して行ってしまったことであり、無知であることがどれほど相手を傷つけてしまったのかと胸が痛みます。認知症の方の後見人になるということは、相手の方にその都度一から説明しないといけない状況の繰り返しになることが想定され、自分の気持ちとの闘いでもあるだろうと思います。第4回講義では任意後見契約はあくまでも内容を知り尽くした上でないとトラブルの元になるという事を学び、大変勉強になりました。高齢社会が加速していく中、後見人の必要性とそこに潜む危険性も自覚しながら勉強させて頂きたいと思います。
3.第4回講義の感想…実際の後見業務のいくつかを、すばらしいデジタル紙芝居で見せて頂き、イメージがつかめてきました。と同時に、後見業務の難しさを目の当たりにし、身が引き締まる思いです。「自己決定権の尊重」と「身上保護」の調和が大事であることを理解してきたつもりですが、実際の場面においては、とてつもなく重い判断を下さなければならないことを認識しました。後見業務に一つとして同じケースはなく、先週の小此木先生の「ケーススタディー」講義で「答えは一つではない。」という意味が理解できました。
4.第3回に解説いただいた市民後見業務ケーススタディにて、「身上配慮義務を果たすためには、後見人等の柔軟な解釈により職務内として対処できる支援を要します。」と記載されておりましたが、第4回の講義において、その実例が示され、より理解が深まりました。デジタル紙芝居のインパクトは大きかったです。同様に前々回の解説で触れていただいた愚行権についても、後見制度の実情がわかりました。自己決定と本人の保護という二律背反的な要素がある場合でも、傾聴やラポールの確率により解決が見出されるケースもあり、またそのように努めなければならないと認識しました。
5.「僕のヒヤアセ後見日誌」を見て後見人の仕事が難しくて厳しいものなのだと改めて感じました。「人権感覚」声なき声を聞き、権利を擁護する。自己決定権の尊重と本人保護の調整があり,現有能力の把握が如何に重要か,難しい仕事だと感じました。しかし、紙芝居の生々しい実例を見ながら,改めて大変な事とは思いましたが同時に、社会の為になる遣り甲斐のある任務だと感じました。以前に,自分の仕事の上で病院に入院されている方から「もうあのアパートに元気な姿で戻る事はないから部屋の不用なモノを片付けて欲しい。」という依頼を請けました。その方は退院許可を貰い立会いのもとスタッフと荷の整理していました。するとその方が急に倒れ,救急車で運ばれたものの心肺停止。何日か後、打ち合わせの時は保証人と仰っていましたが,いま思えば任意の後見人の方だったのかもしれませんが,その方からいざという時のお金は預かっているから作業をして欲しい旨、連絡を頂きました。葬儀にはこれもご縁ですから参列しようと思いましたが,身寄りがなく葬儀はしなかったそうです。九州に娘さんが嫁いでいたそうですが「もう縁を切っているのでお骨だけ送ってくれれば良いですから」ということだそうです。あの方のお骨はお墓に入れたのでしょうか。荷の整理では、失礼ながら家族写真やら様々な品々を見ながら,一瞬ではありますがその方の歩んだ人生を想像してしまいます。そんな時いつも何とも表現できない,何か心の空虚感というか人の人生って何なんだろうと,どうしようもないやるせなさを感じました。でも、今日の紙芝居を見ながら,大変かもしれないけど,人生の最後までお付き合いをする後見人の仕事は,死後事務として遺品整理に携わる身として,生前からお付き合いする事により,何かお役に立てることがあるのでは,と熱い気持ちになりました。と同時に、本当に綺麗事では済まない役目と,責任の重さを今日は痛感しました。Q&Aに「高い倫理観と地域貢献と,自分の価値観だけで判断しない,柔軟な対応のできる人材を育成」とあったのが,今日の講座を聞いて腑に落ちました。更に真剣に勉強してみます。
6.第5回講義の感想…①星野先生の講義:具体的な後見事務の流れがよくわかりました。銀行口座の管理方法(口座の一本化)、口座名義人の作成の注意点、財産の把握の方法等とても参考になりました。また、資料4に記載されていた様々な問題事例は、後見事務において、きっと直面するであろう事例が記載されていて、その対処の考え方の指針として参考になりました。選任直後の作業や、財産管理等、一連の事務にわたり、家族や施設との入念な打ち合わせが欠かせないと思いました。
②板橋先生の講義:虐待の通報から市町村の対応までの大きな流れが確認できました。被後見人に起きている虐待等、小さな変化に気づいてあげることが何より重要であると再認識しました。また、個人情報の保護については、後見人も被後見人の個人情報を守らなければならいことに気づかされました。盲点でした。講義時間が短くなってしまったのは少し残念です。もう少し先生の講義を聞かせて欲しかったです。
7.【認知症を理解することについて】福島先生の「高齢者認知症の理解」の講義は大変心に響く内容でした。母が認知症となって長く、経験的に何となく理解していたつもりでした。認知症がこれほど奥深い病であると知り驚いています。認知症の種類、進行段階、認知症ケア倫理など勉強になることばかりでした。認知症の理解のためには深い人間理解(人間とは自己実現を目指し望む存在である・人間は他者との関係性の中で存在する)や高齢期の人間の心理理解(様々な喪失体験、死への不安・孤独を抱えて生きている)が必要であること。認知症高齢者の心は不安と混乱でいっぱいであり、喪失体験を重ねながら心配し、苦しみ、悲しみ、悩むのは誰よりも本人自身であること。また理解や判断が難しい状態となっても心は生きているなどの先生の言葉は重く心に残りました。テキストに「心身低下の状態であっても高齢者は深い人生経験を持つ存在である。介護を通して人生の先輩から学ぶ機会を得られるのはありがたいこと」とありました。私も母の介護生活の中で時々はっとするような学びの瞬間が何度かありました。ターミナルケアについても先生のお話を伺いたかったと思います。